当連盟について
概要
名称 | 一般社団法人 日本麻雀101競技連盟 (イッパンシャダンホウジン ニホンマージャンイチマルイチキョウギレンメイ) |
所在地 | 東京対局室: 東京都台東区 大阪対局室: 大阪府大阪市中央区 |
設立年 | 1987年 |
創立者 | 古川凱章 |
代表者 | 理事長 愛澤圭次 |
沿革
1982年/昭和57年
古川凱章主宰〈順位戦101〉創設。
1984年/昭和59年
第1回エイトワンカップ開催。
※八翔位戦の前身。101評価ではなく、1位に3勝・2位に2勝1敗・3位に1勝2敗・4位に3敗をそれぞれ与え、それを累積する方式で実施。
1985年/昭和60年
誌上対局「101条件トライアル戦」スタート。後の八翔位決定戦のベースとなる。
オープン参加の101競技会として「マージャン101」を設置。
第2回エイトワンカップ開催。この期より101評価に変更される。
1986年/昭和61年
エイトワンカップ優勝者に「八翔位」の称号を与える。
1987年/昭和62年
エイトワンカップのシステムを一新し「八翔位戦」とする。
「マージャン101全国競技会」発足。
「101競技連盟」発足。初代理事代表に古川凱章が就任。
1988年/昭和63年
順位戦参加への登竜門として参加者を一般公募する「新人戦」を設置。
第2代理事代表に金子正輝就任。古川前理事代表は相談役に転任。
1990年/平成2年
第10期順位戦終了時の成績で暫定順位を決め、A級・B級・C級の3クラスに分けて第11期順位戦を開始。
※A級戦の優勝者に「名翔位」の称号を与える。
1991年/平成3年
東京・両国に「101競技連盟本部対局室」設置。
1992年/平成4年
連盟機関誌「101マガジン」創刊(初代編集長・豊原一雅)。
1993年/平成5年
古川凱章、第3代理事代表に就任(再任)。
1995年/平成7年
連盟第3の公式戦として「順位戦昇級者スプリント」を開始。
※翔龍戦の前身。前期昇級者のうちB1・B2昇級者で予選を行い、勝ち上がり2名がシードのA級昇級者2名と決勝を行う。第1回優勝者は有馬理。
1998年/平成10年
大阪商業大学アミューズメント産業研究室(谷岡一郎学長/大阪府東大阪市)に「大阪対局室」を設置。
1999年/平成11年
連盟公式ウェブサイト開設。
2000年/平成12年
青野滋、第4代理事代表に就任。
千葉県市川市に「東京対局室」を移転。
この期より八翔位戦のシステムを一新し、トーナメント方式に変更。
2004年/平成16年
古川凱章・金子正輝・青野滋の3名を名誉会員に認定。
東京都台東区に東京対局室を移転。
6月1日付で法人格を取得。正式名称は「有限責任中間法人 日本麻雀101競技連盟」。初代理事長:青野滋(代表職)。
第1回「マージャン101チャンピオンズマッチ」開催。
2005年/平成17年
麻将連合(井出洋介代表=当時)との交流を開始。第一弾として八翔位戦とBIG1カップへ相互に選手を推薦出場。
昇級者スプリントを発展的に解消、第三のタイトル戦「翔龍戦」をスタート。
2008年/平成20年
有馬理を特別会員に認定。
2009年/平成21年
2008年12月の中間法人制度の廃止に伴い、法人名称を「一般社団法人日本麻雀101競技連盟」に変更。
菊池俊幸を名誉会員に認定。
2010年/平成22年
愛澤圭次(前副理事長)、理事長代行に就任。
Twitterによる対局速報配信(league_of_101)を開始。
2011年/平成23年
愛澤圭次(前理事長代行)、第2代理事長に就任。青野滋・前理事長はシニアディレクターに就任。
2013年/平成25年
公式機関誌「101マガジン」をWEB版「101 MAGAZINE on the web」としてリニューアルスタート。平井淳、同編集長に就任。
2014年/平成26年
翔龍戦を中止。
スリアロチャンネルによる特別企画番組「闘牌列伝・101祭り」にてスプリント戦(対局者:田中実・小川隆・成岡明彦・山内啓介)の模様を初めてネット上で配信放映。
2020年/令和2年
第37期八翔位戦より天鳳予選を開催。ネット麻雀からも参加を可能とした。